時代劇を観たりすると、寺子屋などで子供たちが漢文を音読している様子の場面に出会うことがあります。
そのたびに、「実に効果的な教育実践をやっている」ことに感心したものです。
算数・数学で「わからない」と訴える生徒に、時々「読解力」が原因でわからなくなっている場合があります。
そんな時は、まず原点に戻り「声に出して読んでみる」ことで効果を実感したことがあります。
人は生まれて最初にコトバで概念形成をするのは”音”からです。母親なり身近な誰かが「何事かの音で、何事かを伝えようとしている」体験をします。もちろん五感を使って情報を吸収し、考え、世界を理解しようとしているのだと思います(ヘレンケラーの様な場合もあります)。でも言語を認識し考える場合、まず声を聴き、声を出してみることで認知と理解が深まっていく。とすると文章を理解するには「声に出す音読・朗読」が有効です。
子供たちが文章に接したとき、最初は殆ど声に出せません。ものすごく小さい声か、または内容理解がともなわない「音を発するだけの読み方」になってしまいます。
実践してみると明確にわかることは「文章を理解していないと朗読(音読)はできない」という事です。
更に、はっきりしたことは「理解・解釈」ができて初めて、他者が聞いて理解できる音読・朗読ができるという事です。そして理解・解釈の深さによって朗読は変わります。
声に出す。朗読する。他者が”わかる”音読・朗読ができるためには、まず自分が理解・解釈ができていなければならないという事です。
算数・数学がわからないのではなく、文章や問いの内容が”わからない”場合が予想以上に多いのです。
そんな時は、「理解できるように、音読・朗読してみる」ことが有効です。
そして、もし可能なら本人に「声に出して読ませてみる」ことも大切です。算数・数学の文章の場合、本人が興味をもって音読してくれることは稀です。
やはり国語や表現の授業などで、名文に接し音読・朗読する体験が極めて重要だと思います。
私自身、高校演劇に関わっていたとき、とても参考になった書籍で「ことばで遊ぼう表現しよう!ことばあそび・朗読・群読」日本演劇教育連盟 晩成書房 があります。
ことばに関する感性を磨くことは”わかる”ための土台をつくる作業に他ならないと思うのです。
算数での大きな躓きに「比と単位」があります。
この単元で出会う「文章題」の理解に多くの子供たちが躓いています。この原因の一つに「文章の読解力」がかかわっていると思います。
なんとかこの時期までに音読や朗読などの体験を積み重ね「理解・解釈」ができる状況になってほしいと思うのです。
音読・朗読などに関していくつかを紹介します。
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