他者に好かれたくて必死の努力をしつつも、やはり「自信」はありませんでした。
いくら表面的につっぱっても一皮むけば「自信の無い」自分がいます。
だからこそ、「自信のない」自分を自覚するのが嫌で、逃げまわったり、攻撃的になったり。とにかく不安定な若者であった自分を苦い思いとともに思い出します。
そんな自分がいつの間にか自信があるとかないとか殆ど気にせず、自分の心の声に素直に決断できるようになっていたのには、きっかけがあります。
旅をすると、思い知らされることがあります。それまで「自分」について、それなりに理解していたつもりが音を立てて崩れ去っていきます。
私が20歳代後半の時ですから、40年ほど前です。
ネパールはカトマンズ空港に降り立った時です。
小さな子供たちが何十人と近寄ってきて「give me a chocolate !!」と叫びながら次々に「おねだり」をしてきたのです。もちろん「いい人」である自分は、気前よくチョコレートを配りました。そしてどんどん歩いていったのですが、子供たちの数は一向に減りません。
つぎからつぎへ、新手の子供たちが「give me a chocolate!!!!!!」と迫ってきます。そして持てるだけのチョコレートを使い切った「良い日本人」はやっと自分のスケジュールに戻れました。
そして次の日も、また同じような状況に遭遇してしまったのです。
もうチョコレートは有りませんでしたが、お菓子や飴玉はもっていました。しかし、その時の自分はなぜか悟ったのです。「いや、チョコレートなどを配る行為は、この子供たちにとって何の解決策にもならないのではないか。もっと豊かな国になれば、こんな行動はする必要もなくなる。
チョコレートを配るのではなくこの国が豊かになるためのお手伝いをすることが重要で、いま目の前の子供たちにチョコレートやお菓子を配るべきではないのではないか。
自分は良い人だからこそ、ここは涙を呑んでなにも配らないことにしよう!」そして、何も配らずにそそくさと自分の予定行動に直進していきました。
次の日も、また同じような状況に遭遇しました。
突っぱねました。
そして次の日も、また同じような状況に遭遇しました。
突っぱねました。
・・・何回か繰り返すうちに、なぜか自分がいたたまれなくなってきてしまったのです。
やはり、ちょっとぐらい配ってもいいのではないか。いいや、配るべきではない。
なぜか、こんな小さな決断ができなくなってしまったのです。
いったい人間の行動を決めるのは何なのだろうか?チョコレートを配るか配らないかで、何故これほど悩まなければならないのか・・・・旅は、自分について考えさせてくれます。
自分の行動を決めるのは自分に違いないのです。
でも、日本で暮らしていたとき、「ものをあげる行動」の是非で悩んだことはありませんでした。
「自分の心の声にすなおに従うしか道はないな」とフッとおもえたことを思い出します。
その後の帰国後の生活では、この時の体験が思い出され、自分の行動決断が理論的な思想的な是非ではなく、「こころの声」に素直にしたがうようになったことを鮮明に思い出します。
悩み多い若い時こそ、「やってみる」「旅にでてみる」など行動することで自分の方向が見えてくるようになると思うのです。
学習も同じです。まずやってみる。読んでみる。考えてみる。行動することで初めて学びは進化します。どんなに悩んでいても、ただ悩んでいるだけの時間は、単に悩みが堂々巡りしているだけで、何も解決してくれません。
まず、やってみる。これです。
考えることや、人間の頭で解決しようとしても・・・まず無理です。
山に登ってみると、頂上でのあの爽快感は心に残ります。
海でシュノーケリングしてみると、あまりにも美しい光景は確実に心に残ります。
行動してみないと心に響く風景や体験はできないと思うのです。
そして心に残るもの、腑に落ちる事などが多ければ多いほど生きていく自信はついてくると思うのです。
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